※試聴クリップはページ下部にあります。
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Soi48『ADM: Asia's Own Unhinged Club Culture』[Japan: Self-published, 2025] Photo book
著者・発行者:Soi48
判型257 x 182 x 7mm
228P/中綴じ/フルカラー/シュリンク封入
発行部数:限定1500部
遂に出た!画期的な企画であり、コロナ禍の直前から噂になっていたSoi48のアジアンダンスミュージック(ADM)特集本がついに遂についに登場!!これは想像以上に強烈!!!
写真のみで構成された本書『ADM』は、文字のないADM情報誌とでも言うしかない濃縮された情報がぶちまけられており、スマホを駆使してどこまで辿り着けるか、現実世界でのロールプレイングゲームを行うことになる(そして、その答え合わせの機会は近い将来あるかもしれない)。
二次元紙面のホットさのみならず重要なのは、本書の装幀と意匠だ。印刷経験者ならこの尋常ではない印刷物に考え込んでしまうだろう。取材・撮影から出版まで自主制作でやり切ったSoi48に心からの敬意を評し、2025年・令和7年をADMの記念すべき年と制定!
以下、公式案内(拝読!):
Budots、Saiyor、Vinahouse、慢揺、Fengtau、Funkot、Vei Lerng……「ADM(Asian Dance Music)」とは、アジア各地域に分布するこれら聞き慣れないエレクトロニック・ダンスミュージックの形態を総称する造語である。その解釈は単に音楽的構造だけに収斂されるものではなく、DJスタイルから夜遊びの作法、ダンス、ファッショントレンド、SNS、空間デザイン・音響・照明、さらには業界の商慣習から楽曲の流通経路に至るまで、それぞれの土地土地で歴史的・社会的・言語的背景に影響を受けながら、独自の発展を遂げてきた千姿万態のダンスミュージック文化全体をその射程に収める。知覚しうる限りの、アジアの若者たちの生活の実状(リアル)──つまり、もう全部である。
2017年にタイ伝統音楽の「教科書」とも言える『Trip to Isan 旅するタイ・イサーン音楽ディスク・ガイド』の執筆を終えたSoi48が次に向かったのは、アジアの人々がつくり出す「夜の現場」だ。宇都木景一と高木紳介の二人は仲間たちとともに、タイ、ベトナム、ラオス、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、台湾、韓国、日本を旅しながら、各地のナイトクラブやフェスティバル、シークレットレイヴ、移民労働者向けディスコに通い詰め、関係者たちとの交流を深めながら、その知られざるクラブカルチャーの秘景を記録し続けてきた。
本書『ADM: Asia's Own Unhinged Club Culture』に収録された計167点の写真は、世界的な隔離期間を含む
2017年から2025年のあいだに撮影され、アジア各地域で愛され、育まれてきた「ADM」の生態を写し出した貴重なヴィジュアル・アーカイブを提供している。現地に足を運ぶことでしか得られない独占的なスナップショットの数々は、
それぞれの地域のダンスミュージック愛好家たちがもつ創意工夫・機知・情熱の結晶を照らし、均質化するグローバリゼーション中で、またべつの未来を予感させてくれるものである。
以下、本書の分析:
かれこれ13年前、Soi48が監修するタイ音楽シリーズをエム・レコードで立ち上げ、タイ音楽を紹介するドサ回り営業を始め、それが縁となって様々な篤志と出会い、映画制作集団・空族と合流した『バンコクナイツ』では音楽面でサポートし毎日映画コンクールで音楽賞(と監督賞)を受賞、タイ伝統音楽を紹介した『Trip to Isan 旅するタイ・イサーン音楽ディスク・ガイド』の上梓、タイの人間国宝モーラムを招いた日本公演、そして、あのジュウさんとの素晴らしき邂逅とOMKの結成、それら行動の集積が、TVの特集番組や大学講演を呼び込んでしまったSoi48の活動。
走り続けているSoi48(とOMK)ですが、その裏で、東アジア・東南アジアのローカル・ディスコ箱の長期調査を地道に行っていることが、徐々にですが、巷間の噂になっていきました。その調査は「潜入」となることもあり、危ない目にたびたび遭ったと聞いています。しかし、そこまでやり尽くしたがゆえに、たくさんの友(戦友)を獲得し、我々は「Soi48パーティー」でその恩恵に間接的に預かっているのです。一体どこの誰が、地元民しかいない言葉も通じないダウンタウンで、時に一晩数十万円かけ、見ず知らずのディスコ箱を5軒ハシゴし、朝が来るまでその様相を調査するというのでしょうか。これは常軌を逸しています。一体、彼らは何を見ようとしているのでしょうか。いっぽう、この美しくも赤裸々に写し出されたフォトドキュメントのページをパラパラとめくって抱くのは、「こいつらイカれている。。」という戦慄に似た感覚ではないでしょうか。しかし、その次には、これを上梓したSoi48についても等しく「こいつらイカれている。。」と貴方は思い始めるはずです。ただし前者も後者も「イカれて」いるように見えることには相応の理由があるのです。後者の著者・Soi48について言えば、唐突ですが、20世紀初頭の人、ヴィクトル・セガレンが『エグゾティスムに関する試論』の中で、主体(自分)と客体(対象)の関係において、自分(世界の中心である西洋人)が対象(西洋外の辺境の諸現象)を包括的に理解できる(支配する)という高慢な考えを捨て、対象をひたすら観察し考察し続ける態度を説いているのですが、その先には、対象を媒介にして現れる何らかの意味、真実を見出せるかもしれないという可能性を秘めています。それこそSoi48(とOMK)が本書を出す過程で実践していたことではないでしょうか。学問という極道においても、そうした探求的な態度が純度を増すと、人はそこに狂気のようなものを見てしまうのです。そして前者、本書にびっしり掲載されている「イカれて」いるように見える被写体の数々、これらにも理由があるのです。あるはずなのです。それらは、今度は我々のスマホ検索を用いたひたすらの観察と考察に委ねられており、その検索の過程そのものがデコーディングとして作動し、いつか貴方は埋め込まれた暗号を見つけるはずです。ただし、この暗号それ自体の取り扱い説明書は今のところ無いようで、その使い方を我々に問うているのが本書ではないでしょうか。将来、答え合わせの機会が我々に訪れますように。